とりとめなく、登る光

今は、螺旋階段の登っていく形のようなものを、追いかけている。


indian no echo sign bine no!というバンドをやり始めたとき、こだわっていた感覚というのがあって、地下鉄に乗って、一番前の車両の一番前から、線路をぼーっとみつめて、乗り物が進んでいくのを感じる。
異常に空しくて、すがすがしくて、季節も何も無いというふうな、気分のモチーフへのこだわりあった。
その感じは、『WHITE SCINE DEAD SEASON』というタイトルの曲に表れてて、その気分のトンネル感には、螺旋階段のような、ひらひらしたり、うねったりする感覚はなかった。
灰色で、少し、銀色の摩擦を含んだ『白』
服装は、カラフルだったけど?!なー。
ひたすら、ひとつのことを進めていくなかにしか、何も無いという、純粋な思い込みの感覚。


今は、ほとんど、大阪を移動するのは、自転車移動だ。
自転車に乗っていると、色んな流れていく景色に遭遇したり,景色の中を出かけているよーな感覚があって、余り、考え事はしない。
もちろん、人によって違うと思うけど。


歩くスピードに、考え事は、よく似合う。
坂道を自転車で、駆け下りるときに、考え事は、無用だ。時に、坂道をえっこらせと登ってくる人のスピードを、無視して、チリンチリン、自転車のベルを鳴らして、あ!ごめんと後から、反省する事もある。私は、毎日、割と急な坂道を、登ったり、下ったりするのですで、その時・その日の自分のテンションが、同じ事は無い。
当たり前だけどなー。おほほ。


その坂道の周りは、都会なりの緑が、道ばたに在って、それらを見つめる目に、季節がある。
見ようとしないものには、相手にされないし、相手にされなくたって、見るのだけれども。


今・私が感じる『季節』は、螺旋階段だ。廻る、巡る『季節』というより、螺旋階段が上に上に登っていくイメージ。
何やろか、DNAも確か、螺旋状でしたっけ?