方向もくそもない、だだ喋りからスタートするのだ。

この日記スタイルになってからというもの、書き込んではみるのだが、なかなか定着にまで至らず、一ヶ月以上もほったらかしぱなしだ。
全く、書きたい事がなかった訳でもないのだが、どうも、この画面に馴染めず、というか、馴染もうとせず、どろんと日々は過ぎていった訳でーす。

のり弁当の食べ過ぎで、お肌が固くなっている気がしていた頃の、食事法について、南港から見渡す360度ペラペラパノラマの景色の爽快さ!ナイスライブにいっての興奮話。
こんまいながらも、前の日記スタイルでなら、つるつる書き込んでいたフットワークは、いざ帰らず。

先月迄、40人位の若者が、一斉に働く職場に居たのですが、そこが閉鎖になってしまって、ロロロロ人間模様に遭遇しなくなったのも、でかいと思われます。
そこの職場には、様々な愛すべきキャラの人間が蠢いていたので、ウォッチング大好きな私としては、ネタゴロでしたんな。今になって、それは、痛感。

仕事というのは、もちろんお金を生活をする為に行なう、活動であり、時間をだんとつに使う、道筋でございますが、私の様な、微妙なバンドガールにとっては、毎度切実問題でございます。
貧乏臭い話は、あらゆる普段にぴーひゃらしておりますので、ここには登場させません。
自分の選んでしまっている、優先順位・生活バランスの態度といったものについて、ぴーひゃらら。

人と話していて、当たり前に、人それぞれに価値観というものは、全く違います。
そして、友人になる人間というのは、ある側面で合う人。まず、全面的に合う人間などは、居ません。
その<合う>ともいえる、生ぬるい会話・共感のプールどぼんで、会話している時、自分の生活態度に対して、とても不安になる瞬間が、よくあります。
私は、共感と言うのはどっちかというと、苦手でというより、しりとり、共感を確認しあう会話が結構苦手なのです。<勿論、時にはノリノリで共感トーク繰り広げる時もあるのですが。>
その時の確認作業のような会話が苦手なのであります。共感してるなら、なんなら、だんまり決め込みたい。ちゅう感じ。

違和感を感じる会話の方が、それぞれの態度に敬意を払いたくなるつーか。態度と言うのも、いい加減なものなのですが。放つ側と受ける側、結局の所、自分受信だもんね。
んで、自分の心との対話なんて、がっちりはまる時、殆ど無いもんな。
自分の欲している物事の順番、で、具体的行動、環境。もろもろ。

カノー姉妹も嫌いじゃないけど、あんなグラマラスな女になりたい訳でもないしー、最高安全うまい野菜一色に囲まれたい訳でもなしー、世界一週したい訳でもなしー、店をオープンさせたいわけでもない。
<おいらは、ドラマーヤクザなドラマー〜>って、腹括ってる訳でもないしー、言い切れない自分を否定も肯定もせず、ってな。
手のひらには、今を載せてんだ、こぼさないように今を載せてんだ。けど、まだ、気分はうろちょろしてる。その切り替えるタイミングにたいしては、どっかほっぽっている態度をとってる。
それが、今のいい加減ながらも、正直な態度。
正直という言葉が、正しい意味になる時もあれば、全く適確ではない時もある。

一杯、雨が降ると、全てが同じ質感になった気がして、気分がすっとしたりする。
あくまで、気がするだけだけど。その連続に、鈍感になった頃に、何か変わるのかしらん。はっくしょん。

そんな色々が私・バンドに対して、独特の向きとしみをを加えて、音に不思議なイマジネーションを加える〜んで、どっかへ展開される〜んな事が、今の私のベストスリーな楽しみだ。