『ラーメンより大切なもの』ラーメンの神様『山岸一雄』ドキュメンタ

『ラーメンより大切なもの』ラーメンの神様『山岸一雄』ドキュメンタリー見ましたぁ?凄い、良かったです。


途中から、見たのだけど、大勝軒という東池袋にあるラーメン屋のボス『山岸一雄』と、彼の廻りに関係する弟子や、お客さんや、病院の人間や、彼の過去〜早くに逝ってしまった奥さんとの思い出〜大きな事件は起こらないけど、小さく深い日常の変化、関わる人々〜それぞれの感情。
お涙頂戴ーにしようと思えば、出来る話なんだろけど、それを淡々とただ付き添っている感じで、ピックアップしてる感じ良かったです。


山岸氏の小さな店の厨房の壁にかけられた、猫の横長のポスター、油まみれになって、拭かれる事のないまま、もともとの写真の原形が見えなくなっている状態。
山岸氏の奥さんが亡くなってしまってから、拭く事も触れる事もなくなったらしい。
その事について、問われると、山岸氏は『そんな心臓をえぐる様なことには、答えられない』と、答え、、奥さんが居なくなってからは、ラーメンだけの人生だったと話す。ごく、静かに語る。


山岸氏の元に修行しに来る、数々の人間。『来るもの拒まず』と、教えて欲しいと集まってくる人に対して、教ええる事は教えるというオープンな姿勢、その人生の重みと柔らかさ。
そして、山岸氏の味を忠実に真似する、というか、その味を最大級とみなして、道具から何迄、真似してラーメンを作る人や、『親父さんの味のはかなわないから』といって、別の味を、自分のずるさを露呈した上で自分の戦略で商売していく人。


神様って、色んな場所に居て、それを感受出来るキャッチ出来る人がいて、ピラミッドの全体図を一個一個の歴史の断面図を見てる感じで、興味深かった。
そして、それは深いのだけど、大袈裟じゃない日常のトーンで、語られているのが、凄く魅せられた。

山岸さんが厨房に居る時は全て、基本1人で動いていたらしく、70歳の体の限度という、今迄頑張り続けた事による、限界が来て、彼は入院する。
ラーメンをもう一度つくりたいという未来への希望に向けて、彼はリハビリをし、人工の関節を、骨を削って、埋め込む。


そして、神様が居ない店を守る、人々のドラマ。
味が代わったことで、冷酷に店は錆びれたりもした。
だけど、その次があった。『まだまだぁ!』と未来に向けて頑張りたい人が居たから、展開していく。


そして、山岸氏は、戻って来た。
山岸氏の味に感動する、汚目?!の労働者や、普通のリ−マン風の人。
『いいものはいいのだ。ボーダーは、ないのだ』
けれども、山岸氏は、30分でリタイアする。『指が動かない』『体が痺れる』という、自分の体の現実に対面する。
そして、その30分の復活後、山岸氏は店に来なくなった。
数カ月後、テレビ班が〜山岸氏に話を聞きにいくと、山岸氏は、30分の復活で、自分の限界と現実を体感したと語り、自分は厨房からは去ると語った。


30分の復活の時、奥さんの死去後、拭かなかった猫の横長ポスターを拭き、それはそれは、とてもきれいな希望みたいに見えた。
テレビを見ながら〜私は、第二、第三の希望みたいなモノを見せつけられた気がした。
だけど、それは、始まりでもあり、終わりでもあり、始まりでもあった。
正にタイトルの『ラーメンよりも大切なもの』であった。
夢があり、現実があり、人の関係があり、自分の人生は自分のものなのだと、色々詰まった映画であった。
けど、見終わった後、私は凄く『希望』を感受しましたよ。
つらい事や淋しい事は、生きていく上で、基本なのだなと、実感もしたし、だからこそ、変えていくのは自分自身だし、受け止めていくのは自分自身なのだと。真夜中に、強い力に立ち会えた事に感謝します。


東京に行った時は、大勝軒行きたいすねー。本店でもいいし、山岸遺伝子を抱えている別の大勝軒でもいい。
ありがとう、テレビ、ドキュメンタリー。
何となく見てて〜飛び込んでくる、垂れ流しのテレビならではの出会い。<笑>そういう意味で、私はテレビは好きなんです。
垂れ流しと言うのは、ある一面、とても危険だけど『来るもの拒まない』側面があって、それと自分のチューニングがあった時は、ネットにはない雑なざっくばらんな、いい加減な大衆的な魅力がある。


締めくくりは、何でかテレビ万歳気味?!<笑>
滅茶、長文、、最後迄読む人、少ないだろなー。
私の横では、私がおんおん感動し、レポートする位の出会いが会ったというのに、我関せず、ラーメン話知らずの友達がぐぅぐぅ寝てます。
ね、そんなもんだよね。こういうの。ぬはは。


グンナイ!