呼応する人

akamar12122011-03-30

あなた、お元気ですか?
3/11の地震を境に、日本列島は、地形は、土地は、命は、海は、価値観は、心は流動し続けてます。
未曾有の天災は、あらゆるモノを転覆させ、新たな成り行きを、一分一秒と差し迫いたててます。突然、断ち切られた生命や、脈々と人間が育て上げてきた伝統や技術、モノたち。漁業や色んな仕事たちの途中たち。地球サイズで問題になっていること、国や列島事情の事。海底や地震のサイクル。人間・小さな生き物には、コントロール出来ない事象。そして、原発の問題の様な、人間の生み出した問題。それと一人一人の心の中の大きな大きな気持ちの問題。


東京の友達と話をしたら、今まで感じた事のない触りの不安を抱えているのを感じた。ニュースだけでは、伝わり切らない継続的な1人1人の中の不安。けれど、友達同士、話していれば、明るい声も出てくる。元気を出そうとする羽の音の様な気持ちを受ける。逆にこちらが、元気を貰ったよ。
原発エネルギーから、持続可能エネルギーへ、変えて行こうとする祝島の人々と、それを実行し始めているスェーデンの奮闘を描いた『ミツバチの羽音と地球の回転』という映画のタイトルを思い出した。
この映画のタイトルについて、環境活動家の田中優という人が、量子力学の話と絡めて、『例えば、どこかで、ミツバチの羽音がすれば、その羽音は、地球の回転にさえ、影響を及ぼしてるかもしれないのだ。。』と、言葉にする。
原発の問題、わからない事も多いので,やめた方がいいに決まってる!とわかってるけど、日本の事情や俯瞰の事情があるのもどこかわかるので、『反対!』と弾け出せない羞恥心みたいな、出遅れの気持ちもありました。羞恥心とストレスは、クロスロードする。
分からないなりの意見、意見を言葉にする迄の時間。頭の悪い私が、『わかるまで』と、待ち延ばし過ぎたら、時代は変わる。
原発反対デモの時に、何十年も活動をしていた人が、『こうゆう最悪の事態にならない為に、活動して来た』という。ここにきて、私なんかは、本当の危機感を感じた。とても、皮肉な話だけど。ごめんなさい。ちゃんと、考える一員になっていなかった。けど、でもでも、個人レベルでは、ここから始めるしかそりゃないのだ!
でも?!でも!が、大事やのね。


こないだ、石井 モタコ君のお父さん/石井利信さんの家族への絵ハガキ個展に行きました。とても小さな瞬間のシーンや気持ちを切り取った優しい絵葉書が、並んでいて、ほっこりしました。家に帰って、玄関の前で、空を振り向いたら、きれいな月が、浮かんでたよ!とか、そゆ瞬間の絵と言葉。
音楽やこゆものは、人一人1人を、一歩・少し強くしてくれると、ほんま思いました。軽い一歩ちょっとの重さ具合を。一人ずつ、向き合う優しさの瞬間の何気ない覚悟を。その覚悟の中には、希望も、あきらめも、派手じゃないけど、両極端な幅がある。幅があれば、『偶感』が、生まれるのだ。


http://twitter.com/akamar22
だれかのツィッターより。
一人ずつの無念が衝くRT@火事や爆発と違って放射線は目に見えないからこそ恐怖と猜疑心を無限大に拡散し、希望を打ち砕く。一人の死の影に数百万人の絶望がある。なぜそれが政治家や経済人にはわからないのか。
福島の野菜農家に仕えたの一人の人間の死
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103280468.html