自分は自分の工場長?!

今夜、ライブを見た。
お目当ての知り合いのバンドの初ライブ。
初々しいながらも、堂々とした佇まいに、嬉しくなりました。
曲が良かったので、是非今後の継続を願いまする!


そして、前情報なしに、遭遇した男の子三人組のバンド。
そのバンドの何が良くて、何が駄目なのか、全くわからなさが、私の中に残った。
簡単に説明すると、まず、ドラムが左利き。
なので、目の情報に『おやっ?!』と、、違和感が焼き付き、少しして、『あー、左利きやからか』と、違和感のモトを知る。


左側のギターの男の子の振り付けというか、動き、何風と説明しづらい〜いびつなオリジナルぶり。
いいとか悪いとかではなく、よくわからないけど、本人が凄く気持ち良く音をパワーを出しているので、とにかく!自分に忠実にやってる感じが素直で、客として、『見がい』がある?


右側のボーカルギターは、割とオーソドックスな歌。おりょ?
、、で知人にそっくり顔。ここで、又極私的な情報が混ざってしまうのだが。


何というか、見ていて、妙に落ち着かないのだ。
組み合わさりに統一感がないし、爆音なのに、小アクション。もしくは、大アクションなのに、音小さい〜みたいな、何かと何かが一致しない感がたっぷりで、終止見ていて、落ち着かなかった。


個人的に、このバンドに興味を持ったとかそういう事ではなく<失礼!今後持つかもしれないけども> 私の中の極私的な視点が、色々動かされて面白かったのでしてん。


コンクリートの割れ目から、突き上がって来た植物や、コンクリートを原っぱと見立てる〜みたいな感じが、私は好きなのですが、その自分の好きなモノの見つけ方!〜みたいなところです。
そのみつけ方は、千差万別な訳であって、『差』であったり、『別』という結果は、人が相対的に判断する事なのであって、当人には関係のない自意識である。
『外れ』と『当たり』に飽きもせず、継続出来るもの、それが好きなものなんだな。『好きなもの』という言い方は何だか、しっくりこないけど。


『みんなが夢中になって、暮らしていれば、別に何でもいいのさー』って、歌ってたフィッシュマンズ。ど真ん中に〜空中キャンプからの視点で。
『空中キャンプ』というアルバムは、ほんま大好きだったな。
オーソドックスかつ、視点を少しずらして異空間へ飛び出す感じが、一生懸命で切実で格好良くて。


私は、コンクリートの地面の割れ目から、感覚を企みます。現実とファンタジーのシーソーゲームです。
視点から、全ては展開するのだ。


えらい、統一感のない日記になってしまったが、今日の文章的にはゴーづら。