新旧問わず、踏み入れる。

もぉ、11月だ。けど、まだ、家、夏模様ざんす。
竹カーテンに、竹床敷いてます。
別に、バリ・インテリアなんて、興味ないでー。


今夜、天王寺をチャリでうろついてたら、友人に教えて貰った、居酒屋情報を思い出し、時は既に、11時廻ってたから、閉店だろけど、『下見だ!』思い付いて、適当に捜しまわった。


阿倍野筋に南側。チンチン電車沿いのアーケード街の終わる辺の、西側だったはず。。
と、うろうろ〜ちゃりちゃり。
10年程前に、その頃活動していた劇団のアトリエが、その界隈にあったので、その頃はうろうろしていたのだが、今はよく行く居酒屋『明治屋』の前迄しか行かないので、その後ろの土地へ〜踏み込むのは久々だ。


足を踏み入れると、、、そこは、9割、のっぺりと人の気配のないマンション、施設ゾーンだった。
コンクリートと信号機の気配しかない、『あの。。』脳味噌で、デザインされた、生々しさを取り除いた
嘘の様な、作られた快適空間??!の住み処が密集した土地であった。。。


ここに、人が居るのか、、?!の気配に、口を閉じ、うろつくだけで、何か疑われそうな、自意識が働く。
西へ、ほんの五分も歩めば、『街が臭う』で、有名な愛隣、新今宮ゾーンだと、思うと、おもちゃの模型上に自分が居てる気になる。
あの辺、じゃんじゃん横町も、大分移り変わりはあるけど、やはり、人の生活の匂いが消える事はない。
そして、町を少し歩いただけで、〜ここに居酒屋あれば、風呂あるやろ、んで、パチンコ屋あるやろ。。という、生活の営みが、わかりやすく、並ぶ、生活の景色が当たり前にある。
強引に、盛り上げようと開拓する人間の努力と徒労も、労ってやりたくもなるが、そんな不自然なデザインに満足するほど、人の感覚は、変化もないし、盛り上がりもない。


変化、改革いうのも、大事なんやろけど、人の感情・感覚なんぞ、んな、進歩しないと思う。
IT革命とか、ほんまあったと思うし、それが大きな力になってるのだと、世の仕組みをあまりわかってない私なりにも、感ずる節々はある。見えてるし。
別に古いものだけを良しとも思わない。
明治屋』で、飲んでいて、気分がいいのは、清潔だからだ。
古くとも、磨かれているから、清潔で、現役感が伝わってくるからだ。
磨きもしない、新しいものなど、クソみたいなもんだ。


通天閣の大分南の少し小高い位置から、みえる通天閣廻りの夜の景色は、新旧関係なく、『夜景』として、まとまりがあって?、かっちょよかった!!
かっちょいいのは、凄く信じれる。けど、近寄れば、、、。


森も木も、見る位置と、心持ちで、ぐんぐん景色を変える。気分も変わる。家に帰る。蛙。
ううおっ、、、ツタヤで、西部劇ニ本<見てない。。>延滞1週間してしまった。
ああ、無力感、、チン、、3200円。お高いね。うううっ。
んで、最初の目的居酒屋、見付からなかったよ。がががーん。
けど、うだうだ散歩で、不思議と、気は冷たく?明晰に晴れたんや。


※11/4festival gates4fで、ライブします。多分3、4番目。9時頃〜。
気向いたら、よろしくさん!