本能と本当

銃の保有率が、一番高い国は、『スイス』なんだね。
武装中立国という、意志なんだね。
そして、スイスの銃問題で、深刻なのは、若者の銃による自殺らしい。


苦しい事や、死にたいという感情は、どんな状況であろうと、国だろうと、豊かであるとか、貧しいとかいう、問題を抜きにしても、消え去らない。
生きたいという、本能があれば、そりゃ、『死にたい』という、本能の欲望が、あるだろーと思う。
それは、当たり前な事で、おかしな感情じゃない。
私も、毎日、下らない事で、死にたくなっては、生きたくなるから。


ざっくばらんに思うのは、人は『生まれ〜死ぬ』という、運命という時間の中で、転がっているだけで、、この世に生まれてから、備わっていく、性格だとか、性質は、状況と偶然と、自分のイメージの経験則で、作られていく。


叫ば狂わないと、抜けきれないトンネルを、抱えた人がいれば、理性と思考にたけた、クールな計算が、出来る人もいる。
オシリペンペンズのライブ時で、耳にした『大人も泣くンやでー』やないけど、大人も子供も、関係なくて、ねー。
『経験』という、人や、物や、景色や、記憶との出会いの中で、ころぶ事に慣れたり、廻りの環境について、考えたりする中で、『知恵』が、付くし、失うものが、増えてくるから、自分の視力のピントが変化していくのだ。


八百万の神様みたいな、気配の優しさと、失う虚しさ、そんな、有限無限のドーナッツの中で、ただ生きてるだけなのだ。
銃があれば、人は、そりゃ、使うでショ。
銃は、人間が、生み出した道具である。
『ある種の力を、押さえる為の銃』というのが、現実である。。という、現実の意味、わかるけど、ほんとは、本末転倒だよ。。


けど、生きてる空間は、『現実』だから、銃もあるし、人は、そりゃ、使う。
人は、生きていく中で、道具を生み出す。
そして、道具に生かされ、道具にも、時に殺される。


始まりも終わりもない、物と、人は、ただ おいかけっこを、している。


自殺という、悲しい結末は、出来るだけ、少ない方がいい。
けど、死ぬ事は、生きた事だから。


戦争は、人間の大きな欲望と醜さの、訳のわからない、おいかけっこだ。
今の現実が、競争と復讐というスピードが、下らないと、本能でわかっていても、いながら、本能で争う。


闘い、競う本能が、埋め込まれた人間は、本当は、何の為に、生きてるのだろうね。多分、意味なんてない。
ないから、見つけないと、生み出さないとやってれん!生み出したら、花が連鎖で、咲くだろー。


見つけるんや。色々、生まないと!
人、なるべく、人を殺すな。
人、なるべく、自ら、逝くな!


毎日、下らないとか、基本やで。
基本で、とどまってたら、あかんで。
道端に、宇宙は、転がっとる。
『アイラブユー』と、転がって、喜ぶ、自分以外の色々に、タッチするんや。